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zoom RSS 書くという行為

<<   作成日時 : 2007/08/20 21:24   >>

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最近文字を全く書かなくなった。
それはパソコンの普及のせいだが、悪いことではない。
そういう立場になって思うことが、書くとはどういう事なのだろうか、という現実の端っこ。
普通の文字を見て考えることは、これは記号か、それともアートだろうかということ。
もちろん記号として扱ってきたけれど、最近滅多に文字を書かなくなってしまってからというもの、ちょっとした機会に珍しく手で書くとどうも気になる。書道とは芸術のことだと思うし、絵画と同じ位置に僕は考えている。だから書道といって半紙に筆できっちりした文字を書くことに何の意味も見出せない。綺麗な字に何の魅力もない。興味もない。字は相手に伝わればいい。そのための道具であり、そうあるべきだろう。だから、字を書くという行為はパソコンで表現することも含まれると思う。だが、パソコンは打つものだ。書いてはいない。かといって、手書きはどうも描く、という表現に近い気がする。だって、人によって字が違うのだから。そうか、書くとは情報を書く、ということなんだ。つまり、パソコンを使って文字を打っても、相手に情報が規定の方法で伝わるので、それは書くといえるのだ。いや、皆同じ字が書けるのだから、それ以上ないくらいの書く行為と言える。ならば、字を書くということは文の中に存在することではじめてあらわされる表現ではないだろうか。つまり、文を書く、は言えるが、字を書く、は単体では無理なのだ。おそらく、単体で使う場合は、描く、という字を使うのだろう。では、少し論点が外れるが、文とはつまり二文字以上のことを指すのか、という疑問が生まれる。なるほど、文でなくてもいい、か。たとえば、「あついね。」は二文字ではだめだ。この場合は最低三文字だ。単語が最低単位なのだ。「あ」、ではだめだろう。だが、「あ、」は大丈夫なはずだ。何が何やら。何やってんだろうか。
ちなみに、詩は、交わらせるもの。
書く、と一般的に言われている行為についての、僕の中の表現を書いた。

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